ジロ・デ・イタリアはサイクルロードレース最大級の祭典「グランツール」となると必ず、独特の持ち味を醸し出してきました。
美味しい食事やワインに、有名ブランドの洋服や自動車とほぼ同じだけ価値を見出すこの美しく情熱に溢れた国において、そのファンたちの情熱がジロを頻繁に体現します。それは、勇敢な者の地位を高め、徹底的に戦い抜いた者を祝福するレースなのです。ジロで勝てば、お酒を買う必要はなくなります。イタリア人としてジロで勝てば、国民的英雄となるのです。アルベルト・コンタドール、リゴベルト・ウラン、そしてファビオ・アルーにとって、2015年のジロ・デ・イタリアはグランツールの始まりを意味します。皆勝ちたいのは一緒ですが、各自のモチベーションは異なります。ある名高い王者は、さらなる栄光を求めます。ある国民的英雄は、2014年はあと一歩のところで総合優勝を逃しています。勝利に飢え、才能に溢れたある若手ホープは、同胞からの期待を背負って前進しています。これら3選手には、ある共通の目標があり、それはジロ・デ・イタリアでの優勝です。
リグリア海ののどかな海岸沿いからスタートし、その道中では伝説が生まれ、精根を使い果たし、王者の座に輝きながら、ミラノ大聖堂の尖塔が落とす影の中でゴールします。各選手にとって、モチベーションと集中が最重要です。3週間に渡るレースから生じるストレスやそれが求めるものを耐え抜くには、内なる炎が掻き立てられていなければなりません。彼らを焚き付けるものはそれぞれ異なるかもしれませんが、ジロというストーリーとしてのレースにおいては、勝利への欲望は共通しています。それでは、彼らのストーリーを見ていきましょう。
「ジロは特別な魅力のあるレースさ。ここのファンたちの情熱は、世界のどこを探してもここにしかないんだ」
- アルベルト・コンタドール
アルベルト・コンタドールはこれまでで6名の選手だけが成し遂げたことに挑もうとしています。それは、同年の内にジロとツールの両方で優勝することです。アルベルトが最後にジロの表彰台の頂上に立ったのは2008年。それから7年後、彼の勝利への意気込みは、かつてないほど強まっています。サイクリング史が見届けてきたグランツールの名選手の一人として、歴史という重圧がこのピント出身の男の肩にどっしりとのしかかります。ジロとツールを同じ年に制覇できた、あるいは制覇しようとしたライダーがほとんどいないのには、理由があります。ものすごく、大変だからなのです。では、なぜそのような歴史的偉業に挑もうとするのでしょうか? 尊敬を得るためです。仲間のレーサーからの尊敬でもアルベルトの名前を載せる歴史書からの尊敬でもなく、むしろ、サイクリングというスポーツに対する彼の尊敬です。
「今までの戦歴とは違う、何か他のことに挑戦したいんだ」
サイクリングではある時期を境に、すべてが、そしてライダー誰もがますます専門化していき、過去をいまだにあがめる人々もいます。偉大な王者たちが春のクラシックで勝ったのと同じだけ文句なしに、グランツールで勝ったこともありました。ライダーはただ「クラシックのスペシャリスト」や「GC優勝候補」というように特徴づけられるのではなく、彼らは単純にレースをし、勝つこともあったのです。今日、アルベルトが引退を決めていたら、サイクリング史が誇る偉大なレーサーの一人となっていたでしょう。しかし、彼の勝利への欲望はまだ尽きていません。勝つ価値のあるものほぼすべてで優勝してきたアルベルトは、彼自身に多くを与えてきたサイクリングに、それが受けるに値する尊敬を以て敬意を払いたいのです。どのアスリートも常に勝とうとしていますが、真の王者には、モチベーションを刺激するものがそれ以外に存在します。それは、選りすぐりの者しかその地位に就けない競争者というカテゴリーに、彼らを飛びつかせるものなのです。過去の王者たちがアルベルトのモチベーションを生み、不可能という名誉がそれを燃え立たせています。
「祖国との絆はとても強いよ」
- リゴベルト・ウラン
リゴベルト・ウランはサイクリングにおけるコロンビア革命の最前線にいます。ジロでは昨年、同胞のナイロ・キンタナに続き2位となり、これは二度目の2位となりました。ウランの心の中のある特別な場所を掴むのが、このジロというレースなのです。リゴはプロサイクリストとしてのキャリア昇進を望んで、19歳のときにメデジンからイタリアに移り住みました。その翌数年に文化や言葉、そして最高レベルのレースでの戦い方を学びました。「イタリアに長い間住んでいるから、ここで生まれ育ったような気がする」とウランは言い切ります。しかし、彼がコロンビア人であるのは確固とした事実です。2013年のジロでは、ビンチェンツォ・ニーバリに続き2位を獲得。一躍国民の注目を浴びました。「コロンビアの人々は、とても情熱的にジロの行く末を見届けるんだ」とウランは説明します。「国中の機能が止まって、レースに釘付けになる日が何日もあるよ」。
ウランには、祖国のモチベーションや期待が大きくのしかかります。好ましくないニュースがしばしば取り上げられる国で、リゴは人々にコロンビアを誇りに思わせる機会を与えてきました。彼は祖国の大使となり、リゴの勝利すなわちコロンビアの勝利といった具合に、彼を形作った民族を絶えず祝います。
2位を2度獲得しても、彼の決意が揺るいだことはありません。勝利をあと一歩のところで逃したことで彼を責める者はほとんどおらず、リゴは戦い続けます。ジロは彼の心に寄り添うレースであり、勝利を切に願うレースでもあります。彼だけでなく、祖国の人々も応援という形で、ミラノでマリアローザを着ることを追い求めています。リゴがこの2月に行われたコロンビア全国ロード選手権で優勝したとき、表彰台の頂上で彼が最初に行ったのは、人々と写真を撮り、彼らの応援に感謝の意を伝えることでした。実際にこの勝利は彼だけでなく、皆のものだったのです。
「ジロを走るのは、僕にとって家でくつろぐようなものなんだ」
- ファビオ・アルー
グランツールを取り巻く興奮は、選手としての競争心に求められるものを包み隠しがちです。私たちはファンとして、伝説的な山の登りや不可能とも思えるルート、そして驚異的なスピードを賞賛します。人々がグランツールを愛するのは、サイクリングを美しいものとするすべてに、3週間に渡って立ち会えるからです。しかし、ファンの目に届かないのは、それがどれほど過酷かという実情です。殴りつける雨の中を6時間も走ったあとに待っているのは、2時間のバス移動。己の体に限界まで鞭を打つのは、ステージ優勝のためではなく、タイム短縮のため。グランツールは肉体的だけでなく、精神的なマラソンでもあるです。次期イタリア人ホープであるファビオ・アルーには、彼自身とチームからプレッシャーや期待が掛かっているだけでなく、国民も多大な期待を掛けています。
「イタリア人ライダーにとって、ジロ・デ・イタリアはシーズン最大のレースの一つ。若手ライダーなら誰もが出場と、いつかの勝利を夢見るレースさ」
ファビオのモチベーションは、ある慣れ親しんだ形、つまり自国開催ということから生まれています。イタリアではティフォージ(イタリア語で熱狂的なファンを指す)がサイクリングを、それも詳しく知っているのです。お気に入りの選手に関する話題は、天気並みに取り上げられます。イタリアのサイクリングファンはジロの勝者がイタリア人であって欲しく、ティフォージがライダーをどん底からも引き上げるモチベーションの一環をもたらし、とてつもないことを彼らにするよう仕向けるのは知られているのです。この特別な関係は、ファビオにも失われていません。「イタリアのファンはとても熱心に応援してくれるよ」とサルデーニャ出身の24歳は説明します。「彼らから感じる愛情は、他で感じるものとは違うんだ」。焼け付くように暑い日もあれば、雪が積もりに積もる日もある3週間で、数えきれないほどの時間と距離をサドルの上で過ごせば、ファンのお世辞はライダーを卓越させるのに十分なのでしょうか? ロマンチックに聞こえるかもしれませんが、ジロのレース中に彼がやり遂げるのに不可欠なものは何かと尋ねられた際、簡潔な答えが返ってきました。「僕を愛してくれる人々と、この経験を分かち合えるようにすることさ」。
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