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2015年1月23日金曜日

辻啓カメラマンがS-Works Owners Clubで語ったこと 後編

S-WORKSオーナーの集い「S-WORKS OWNERS CLUB」が1212日(金)大阪府堂島で開催したCLUBのクリスマスパーティ。特別ゲストとしてご参加いただいた辻啓カメラマンのトークショーの一部をお伝えします。


(注:以下、ご紹介する写真の一部はBREAKTHROUGH MEDIA、そしてWATSON/WATSONにより撮影されたものです)


SPECIALIZED JAPAN(以下、SJ)― ちなみに辻さんは、ジロ・デ・イタリアの取材は何年目ですか?

辻啓カメラマン(以下、辻啓)― 7年。まだ6回です。

SJ― それだけ行けば、人脈や土地勘ができあがるものでしょうか。

辻啓― そうですね。ジロの良いところは、主催者も含めて全員の名前を覚えられるくらいの規模だということ。なので、全員に覚えられる。特にアジア人は珍しいですから。ツール・ド・フランスですと「何万人動いてるねん!?」という規模なので。ブエルタ・ア・エスパーニャというスペインのレースの規模を仮に「30」とすると、ジロは「50」くらい。ツールは「120」くらいでしょうか。プレスセンターの大きさ、プレス登録しているジャーナリストやフォトグラファーの数も、圧倒的にツールが多いですね。

「ツール・ド・フランスに観戦に行きたいんです。どうしたらいいですか?」と聞かれますが、ツールに行っても選手と触れあえないんですよね。選手との距離は遠く、また会うチャンスも少ないです。

でも、ジロや、もう少しグレードが下のレースなら選手が普通にその辺を歩いている。つかまえて、サインをもらったり、話を聞いたりもできます。ジロは、そのあたりのバランスが特に良いと思いますね。


SJ― 次の写真はこれなんか、胸毛ですね。

辻啓― ジッパーを上げる余裕がなかったというのと、まだ23歳と若いので、そこまで気が回らなかったのかもしれませんね。通常はスポンサーのためにジャージーの前をしめないといけないんですよね。普通は「アスタナ」と名前が出るんですけど、アストくらいになっています。アストと胸毛となっている感じです。(笑)

彼はファビオ・アルという1990年生まれの選手。もうそんな年代の選手が来たのかと、びっくりですよね。

実は90年生まれの選手は、もうめちゃくちゃいます。世界チャンピオンのミハウ・クフィアトコフスキーや、14年のジロを勝ったナイロ・キンタナ。そして、ラファウ・マイカもそうですね。ピーター・サガンも。彼ら全員が90年生まれですよ。

その一人のアルは風貌がヴィンチェンツォ・ニバリに似ているので、「第二のニーバリ」と言われています。巷というか、アルをよく知っているイタリア人は、ニバリよりも断然フィジカルが強いと話しています。ファビオ・アル。注目です。

PHOTO: BREAKTHROUGH MEDIA

SJ― 次の写真へ。これは、寒いですねー。

辻啓― はい。5月のイタリアは雨もめっちゃ降るんですけど、雪もめっちゃ降ります。で、雪山です。これはガヴィア峠という2700メートルくらいある峠を越えているシーンです。

ちなみに2013年、同じくガヴィア峠~ステルヴィオ峠をこえて、さらに登ってフィニッシュというレイアウトが雪で中止になりました。14年は、もう主催者の意地で無理やりやりましたね。雪がめっちゃ降って、頂上の温度はもちろん氷点下。でも、走り続けないと次の日のステージが走れない。登りだけならまだマシですけど、下らないといけない。地獄です。

まぁ、この時も自分は短パンでしたけど。(笑)

雪が降ろうとレースは続く、という極端なレースでした。


SJ― そこでは、こんなものも出動するんですね。

辻啓― はい。これはメルセデス・ベンツ製の除雪車。こういうのが合計10台くらい、選手が来るまでずーっとフル稼働していました。それで、なんとか路面が凍らずにキープされていました。濡れていることには変わりがないのですがまぁ、このように主催者の意地もあり、ステルヴィオ峠をパスしました、というお話。



辻啓― そしてこちらが、1990年生まれの(ラファウ・)マイカ選手です。ツールでは山岳賞をとりましたし、めちゃくちゃ期待されています。

登り区間でレインジャケットを着ているところ。この写真は頂上で撮ったものですが、下り始めると、レインジャケットをさらに重ねていっぱい着ていました。そうじゃないと、もう寒くてやってられないんですよね。下りは、やっぱり体が動かないので、ひたすら冷えます。上りは体温が上がるからまだ良いんですけどね。正直、選手にとっては最悪でしたね、この日は。

SJ― 撮る側も、苦労がありますよね。

辻啓― そうですね。体は動きますけど、指が動かなくなることはあります。それと、機材の防水ですか。機材の防水は、どれだけしても結局のところ水はしみこんでくる。壊れにくい機材を使うこと。あとは、無駄ですかね。

この写真を撮影した後から、マイカ選手は下りにはいる標高が2700メートルほどで、気温は零下。そして、路面はずっと濡れていて、跳ね上げた水で全身ずぶぬれ。その状態で標高差2000メートル近くを一気に下ります。こちらのステルヴィオ峠は60回のスイッチバックがあります。60回も切り返すんですよ。車を運転していても「ここさっき通ったやん!」みたいな景色のなか、ひたすら選手が下っていく。本当に過酷ですよね。

SJ― なるほど。そして、次の写真では、また晴れ。その晴れの頂上ゴール。

PHOTO: Watson/Watson
辻啓― そうですね。マイケル・ロジャースが2勝目を挙げた時ですね。モンテ・ゾンコランという、平均勾配が15%で、後半にはずっと20%級の上りが続くところです。そこを上りきったゴール前。もう、観客の山が待っている。

SJ― 山頂の細い道に、すごい人だかりになると思うのですが、メディアの方は動けるんですか?

辻啓― コースの中を歩けば... ですね。車もエンストするほどの坂です。再スタートできなかったりします。ヨーロッパですのでチームカーはマニュアル。もう、クラッチが焼けるにおいが充満している状態です。

最終日の前日なので、ここをフィニッシュすれば実質的にもう三週間の戦いが終わるっていう日。やっとこう、この、過酷な、悪天候の三週間が終わったっていう。

アスタナのエンリコ・ガスパロットというベテランの選手は、観客を盛り上げながらフィニッシュしていきました。「やっと終わった」という感じだったんでしょうね。

SJ― 辻さんはイタリアへの渡航回数も多いですが、なにやら生活に変化があったようですね。


辻啓― 2014年はジロの後に、日本からも家族もよんで、1か月くらいイタリアに滞在しました。やっぱり自転車に乗るのが好きなので、向こうで乗っていました。ツアーも行いましたよ。

2015年はツール・ド・フランスのあと、8月いっぱいはイタリアのトスカーナ地方に滞在します。トスカーナを走ってみたい方は、アテンドも可能なのでフェイスブックか何かでご連絡をいただきたいと思います。間違いなく保証できるのは、メシがうまいというところです。

SJ― ありがとうございます。辻啓カメラマンでした!

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