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2015年8月12日水曜日

手探りの旅:ボリビア

自転車の魅力のひとつに、旅、あるいは距離にして、およそ自分の脚では到達できない目的地に向かうことが挙げられます。ロードバイクやクロスバイクといったツーリング性、機動性に優れたツールでなく、ファットバイクで起伏と不確定要素に富んだ国、ボリビアを走るのは、間違いなく「冒険」と言えるでしょう。


Yonder Journal(ヨンダー・ジャーナル)のクルーが挑戦したボリビアの旅。舞台となったのはアンデス山脈。控えめに言っても「過酷」だったルートを進行したこの旅では「運」がキーワードでした。

しかし、運ほど予知できないものは他にあるのでしょうか?この力、考え、あるいは空想の一つひとつが気まぐれに変化することで、時の権力者らは多大な影響を受け、帝国は崩壊してきました。

運を信じないというひとも少なくないけれど、それは熱心な合理主義者、数字だけを信じるひと、幸運はこじつけだと考えている確率の専門家といったひどく少数の人々。「それは俗説であり、信仰であり、信念である」と。しかし、どうもそれだけではないように思えるでしょう。

それでは、運とは何なのか? 

幸運と不運は単純な数学ではなく、運の捉え方は、例えばそれが力であると言うひともいれば、意思である言うひともいます。運の定義は様々ですし、それは経験から編み出されるものです。ただ、運は当てにするべきではないけれど、常に必要なものです。



ダニエル・パスリー、カイル・フォン・ヘッツェンドルフ、そしてジェームス・クロウの3人と筆者が旅のクルー。ダニエルと私はYonder Journal を運営しています。ダニエルは写真を撮り、冗談を飛ばし、事細かに考えを巡らせ、人が嫌がる仕事をし、何でも知ろうとするタイプ。ジェームスはカナダから南米最南端までのウエストアメリカと呼ばれる地域を1年にわたりモーターサイクルで往復する旅行から最近帰ってきたばかり。この真新しい経験に加え、ジェームスは自転車レースを好むウィスラー育ちの一流のクリエイターであり、強情な性格と「やってやろう」という精神の持ち主であります。 

先日の旅から、ジェームスのお気に入りスポットリストにボリビアがはいったようでした。彼は旅行中に出会った賢くて旅慣れた放浪カップルに電話をし、今回Yonder Journalがいく旅の目的地を「コルディレラ アポロバンバス」という見事な山脈と、その近くの多少有名らしいルートに決めました。

その場所では娯楽的な活動がほとんど行われていなかったため、情報は乏しく、計画は多くの推測を要したけれども... しかも、そこではかつて激しい反米感情が渦巻き、決して平穏な土地ではありませんでした。

そんなこともあり、インフラはまったくと言って良いほど整っていないはず。「きっと良くなっているはずさ」と、楽観視できる理由は私たちにはありませんでした。




仮にどこを探せば良いかを知っていたとしても、アポロバンバス山脈は地図では見つけにくい。

グーグルアースが最も確実で手に入りやすい情報源だけれども、その万能なグーグルでさえ、この地域には興味がないようでした。この旅のルートのほとんどをカバーする地図には、70年代後半の日付が押されていて、手に入れた事実は、決して喜ばしいものではありませんでした。なぜなら私たちは、標高が高く、天候が不安定で、状況が不確かな道を歩くことになったからです。

疑心暗鬼にかられた私たちは、持ち込むバイク選びにさえ苦労しました。ニュージーランドの大雨や雪の中を走り抜けた、信頼できる確実な「AWOL」にするべきか、まだ試していない「FATBOY」にするべきか? コインを投げるような決定であったが、そこは正解を引いたようでした。

初日の朝に2時間遅刻し、まだ二日酔いの残る男が私たちのバンの運転手となったのも「運」のなせる業。彼の遅刻により、ちょうど太陽と気温が下がり出した頃に、自宅へとりとめもなく招待してくれたレンジャー、エドガーと出会いました。

私たちはアルティプラーノの風と天候不順のもと、寒く濡れて不安で眠れぬ夜の代わりに、高山病のみが不安要素である眠れぬ長い夜を、乾燥し清潔で快適な場所で過ごすことができたのです。



旅を振り返ってみて、ファットバイクなしにこの旅をやり遂げられたかどうか、分かりません。酷く痛んだ道 × 大量の荷物 × 目をみはる地形の標高差 = FATBOY 。この選択が幸運の連続を生むことになりました。

幸運は、私たちを試す。

最初は「なんで私たちはこんな旅をしているのか」と思えたものが、徐々にその真価を現していく... 魔よけ、闇市のガソリン、ヒゲの生えた女性、政府役人、途方に暮れた地元民、オープン間もない観光ホテル、口笛を吹く鉱山労働者、そしてスッキリ晴れた午後。これらすべては、私たちのボリビア冒険記を語るうえで極めて重要な役割を果たしました。



未来はまだ決まっていない。人生はチャンス次第である。それでも、冒険という賭けはリスクを高め、さらなる運を要するのです。

私たちは、ペレチュコの小さな町付近の、標識のない十字路で道を間違えましたが、それは結果として幸運となりました。 

検討違いの谷へと下り、そこで立ち往生していると、親切な地元民に出会いました。当然、来た道を引き返しました。その後、高所でキャンプしなければなりませんでしたが本来のルートで谷を下った翌日、ヒロヒロという小さな町に辿り着きました。

ここでは偶然にも、町の首長たちと知り合うことができ、私たちは巨大な青い観光ホテルを初めて使わせてもらえることになりました。そこには90年代初頭のモデルホームの装飾と、フルサイズのベッドがありました。一日前に本来のルートを通っていたら、この町をさっさと走り抜け、道脇の泥沼か霧に覆われた物置でキャンプしていたことでしょう。


ボリビアでは、幸運の女神は私たちの味方でした。標高4200m以上のルートが8本以上あり、その内の1本が標高約5100mで、大半は標高4500m以上。私たちは疲れ果て、屋内で過ごす快適さを切望していたので、運をめぐんでもらえたのでしょう。

2人の鉱山労働者が口笛を吹きながら、道が消えたらどの山道を通れば良いかを教えにわざわざ私たちのテントを訪れてくれました。山で霧が発生したのも、そして最終日に谷を下るルートを選択している間のみでした。


遂に私たちはルートを走りきり、ラパスに予定より1日早く到着しました。

ジェームスは腹痛を訴えていましたが、その症状が現れたタイミングだって、その場より良い場面は今回の旅ではありえなかったはずです。原因の分からない腹痛はたしかに不幸ですが、まったりとつながるインターネット、乾いたベッド、水の流れるトイレ、そしてできあいのコーヒーといった嗜好品に囲まれた局面だったのですから。



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