こんにちは。スペシャライズド・ジャパンで財務部長を務めます、小松亮です。先日参加した、Ironman Japan についてレポートします。
まずは、過去4年間における、私の挑戦を簡単に振り返ります。トライアスロンを始めた初期の、伸び盛りな2011年に運よく世界選手権の出場権を得ることが出来ました。その後、2012年は燃え尽き症候群によりアイアンマンには挑戦をせず、2013年のカナダ戦では足底筋膜炎によりランの残り20kmを歩き完走がやっと、満を持して出場した2014年のIronman Japanではバイクパートで2回パンクし涙をのみました。
ベスト体重+7kg、プヨプヨの体で迎えた2015年正月、Konaに向けた最後の挑戦を決意しました。運で勝ち取るのではなく、予め目標を設定し、ゴール達成するためのプロセスをしっかり踏むことにしました。まだ、足底筋膜炎も完治していなかったので、トレーニングと治療を併用しながらになります。
トレーニング日記を見ると、1月からレース直前まで週平均スイム7km、バイク210km、ラン50kmのトレーニングをしておりました。時間にして週14~5時間のトレーニング、それにプラスしてストレッチ、体幹トレーニング、足底の治療と、結構忙しいです。ただ、このトレーニング量はKonaに出場するエイジグルーパーでは平均的。足底の故障を抱える私は、恐らくこれ以上の練習をすると体を壊すだけなので、いかに効果的なトレーニングをするのかが重要でした。
4月までバイクはLSD、ランは40kmほどのトレランと20kmのペース走を中心にトレーニングを組み立て持久力を養います。5月から比較的涼しかった7月前半まではスピード強化です。Ironman Japanのバイク・ランコースが発表されてからは、コースに適応させるためバイクもランもアップダウンの激しいコースを集中して走りました。
発表された出場選手リストを見たところ、私が出場する45-49エイジのKona出場権は5つと予想しました。(結局その通りでしたが。)ただ、今までのレースで一度も勝ったことがない選手が4名出場するし、アメリカやオーストラリアからの参戦もかなりあり不気味です。全てを出し切らないと勝てそうにない、厳しいレースが予想されました。ただ、この7カ月強のトレーニングにより過去最高レベルの準備はできました。
Swimはウエーブ毎のフローティングスタート。水温は24度弱なので、ウエットスーツを着てのレースではちょっと暑いくらい。スタートダッシュをすると一気に心拍が上がり呼吸もできなくなるレースがここしばらく続いたので、バトルに巻き込まれないように隅から一定ペースで焦らず泳ぎました。2.1km地点で、一度陸に上がった際、妻が「11位」と教えてくれました。自分の実力ならこんなもんだと思い2周回目もペースを維持します。Swimは10位でフィニッシュと妻のコールがありました。
さあ、一番得意のバイクです。ランに足をのこしつつ、かつ、5-6名抜かなければなりません。以下の高低差図の通り、獲得標高2355mの厳しいコースです。バイクも出来るだけ一定ペースで頑張りすぎないようにし、100kmからの長いヒルクライムに備える必要があります。
このヒルクライムは壮絶でした。私と同エイジ3名が一つのパックになって登っていきます。全員が、負けられないと思っているはずです。とうとう、頂上まで同じパックで上りきったところ、エイドがあり2人はエイドのほうに向かいました。今しかない。エイドはパスして一気にダウンヒルを選択。ガンガン加速させます。この作戦は一見成功したように見えましたが、下りきったとき水も補給食もない状況に。さすがに後40kmを水なしでレースするわけにはいかないので、次のエイドで立ち止まり十分な水分補給をしました。再びゴールまでまたダラダラとしたのぼりです。「こんなコースもういやだ!」と思いながら走りました。「今、足を止めれば楽になるぞ!」と悪魔のささやきが聞こえます。そのとき、水分補給の際に抜かれたんでしょう、前方にあの2人が視界に入ってきました。つまり、今7位におちているということでした。頑張らざるを得ません。2人をパスして、一気に下り5位(これは自分の想像、結局あたっていましたが。)でバイクフィニッシュ。
今年もっとも強化してきたランです。誰かに抜かれた瞬間、Konaの夢は潰えます。ランスタート直後、補給のため休んでいた同エイジの選手を抜きます。よし!4位だ。厳しいといわれたランコースも今年前半しっかりトレランで上り・下りのトレーニングをしたおかげでそれほど苦ではありません。急な上りは走らないで、3kmほど続く200mの下りを怖がらず一気に駆け下ります。ランのコースは18kmと30km付近の折り返し地点で、自分の順位が確認できます。18kmの地点で、前を行く外人選手2人を確認しました。あくまでレース中自分が目視しただけなので、カウントミスの可能性はゼロではありません。行けるところまでスピードを上げます。途中、前を歩いていたオーストラリア人をパスし、キロ4分44秒の高速ペースで進みます。30kmの折り返しのちょっと手前で妻より「一位だよ!」と言われました。自分のカウントと違うので「そんなことはない、よく見てて」と返答。でも、彼女はアスリートトラッカーで私の順位がわかるんだし、間違いないんじゃないの?と疑問に思いながら周りをよく見て走ります。折り返して、しばらくすると自分が一位であること確信してきました。
後続との距離を確認します。大きく崩れなければ大丈夫だろうと思いながら、気持ちはかなり楽になりました。でも、前半のハイペースがたたり、一歩一歩が重い。最後の10kmはとてつもなく長く感じました。ゴールは目の前です。MCが「エイジ優勝の小松選手、今ゴール」と叫びました。
タイム・順位は以下の通りです。49歳のおっさんのフルタイムワーカーにして、よくがんばった方じゃないでしょうか?
距離(km)
|
タイム
|
エイジ順位
|
総合順位
|
|
SWIM
|
3.8
|
1:01:31
|
10
|
81
|
BIKE
|
180
|
5:58:19
|
5
|
38
|
RUN
|
42.2
|
3:42:23
|
1
|
38
|
合計
|
226
|
10:50:14
|
1/250
|
38/1609
|
完全燃焼した体のダメージはひどく、このレポートはレース終了5日後の8月28日に書いているのですが、まだ体がだるいです。
順位・タイムを競うトライアスロン、十分楽しめました。レースでも怪我・メカトラ・ハンガーノック、いい時ばかりではありません。今回レース中も、しんどくなって本当にリタイアしたくなる瞬間が何度もありました。年齢とともに痛み・辛さに耐える能力が確実に衰えているのを感じました。私の友人でスロットをとるための緊張感が楽しいという方もいますが、根性のない私はこれで十分です。今後はトライアスロンを楽しむことに専念したいと思います。(数年後、気持ちが変わってまたKonaを目指すかもしれませんが、それはそれでいいのでしょう。) ただ、代表として恥ずかしくないレースをするため、8月はゆっくり休みますが9月から再度1か月トレーニングして、10月10日の選手権を戦ってきます。
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