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2012年6月20日水曜日

【片山梨絵選手独占インタビュー 第1回:O2L】


前人未到。無敵。カリズマ。陳腐ではあるが、そういった形容に値する圧倒的な強さを持ったスポーツ選手は存在する。限界を攻め続け、スポーツの未来を、人間の可能性を切り開いている彼ら、彼女らの活躍は観るひと全てに感動や夢を与えてくれる。
              日本女子マウンテンバイク界においては、片山梨絵がそうだろう。先日の全日本選手権9連覇をはじめ、国内タイトルを総ナメ。2008年北京五輪へ出場し、そして2010年からは活動の中心を海外に移し世界トップの選手たちと競い合い、今年のロンドン五輪での活躍を目指してきた。だが、国内では向かうところ敵なしの彼女も、日本が五輪枠獲得の基準となる国別ランキングは22位となり、出場枠の自力獲得を失う。世界を舞台に日本人女性選手として孤軍奮闘してきた彼女のロンドンへの道は途絶えてしまう。しかし彼女は立ち止ることなく、八幡浜で、そして富士見パノラマでの全日本選手権で勝利を収める。ひとつひとつの大会を、どんな状況でも全力で勝ちにいく彼女の姿勢には脱帽するばかりだ。
              今回の全日本9連覇の直前に、片山選手はスペシャライズドジャパンオフィスを訪れていた。そのときに彼女が私たちに語った全文を、3回に分けてみなさんとシェアしよう。



SPECIALIZED(以下、S):まずは、北京五輪のあとに発足した、オフロード2ロンドン(O2L)の話をお願いします。

片山 梨絵(以下、R):4年間というのはとても長いので、北京五輪が終わった時点ですぐには、「次はロンドンへ!」というようには思えませんでした。北京五輪は出場すること自体が目標だったので、それはそれでみんなですごく盛り上がっていましたし、1つの目標にみんなで向かっていくという楽しさがありました。

S:みんな、というのは?

R:北京五輪代表選手選考会の半年ほど前、つまり北京五輪本番から10か月前くらいに骨折してしまったんですね。その時点ですでに日本女子の出場枠は取れていて、選考会に勝っていざ本番へ!というタイミングでした。「半年は歩けない」と医者に言われて、出場を諦めかけたときがありました。そのとき、私を支えてくれたみんなのことです。轍屋店長の鏑木さんがレントゲン見て、医者のお客さんを探して紹介してくれました。「手術したら、いけるよ」というようになって。また、竹谷(賢二)さんに協力していただいて、国立スポーツ科学センターに行って、良いドクターを紹介してもらいました。そんな風に相談にのっていただいたり、リハビリの手伝いをしてくれた方々です。

もちろん、普段のレースでもチームスタッフが協力してくれますが、それ以上にオリンピックという1つの目標があって、しかも骨折というハプニングもあって、精神的にも追い込まれて、いろいろな人の助けが必要になっていきました。そしてそういったサポートを受けながら、1つのゴールにみんなで吸い込まれていった。一日のレースに向かっていくこと自体が、とても面白くなりました。北京五輪が終わった時は、そんな一つのお祭りのようなものが終わってしまったことが、寂しかったですね。ガラーンとした気分になりました。「また何か目標がほしいな」と、五輪が終わったその夜のうちに思いました。

S:北京五輪は出ることが目標、とおっしゃいましたが結果というものにたいしては満足でしたか?

いえ。北京に出る前までは、確かに出場すること自体に集中していました。でも、実際終わってみたら、私もっとできたんじゃないかな、と感じました。骨折もあって、バイクを乗り込まないと時期に、歩行訓練していたり。初めてのオリンピック出場ということで、いろいろなメディアへの露出に時間をとられました。そうやって忙しくしているうちに、風邪をひいてしまったり、と。「もっと出来たはずなのに、自分の力はもっとあるのに」、と終わったときに気がつきました。北京はマイナス1ラップで、完走することができなくて、それが物凄く悔しくて、このままでは終わりたくないと思いました。

そのとき、もう一度世界にリベンジするために、JOCが絡んで世間の注目度が高いアジア大会での金メダルを目指して、あと2年レースを続けることを決意しました。アジア大会制覇のためには、世界で活躍している中国人選手に対抗できるようにならなければならなかった。彼女らはワールドカップやヨーロッパのレースで金メダルを取っているので、私もアジア大会で勝つためには、まずワールドカップをまわって、中国選手のスピードに対抗できるレベルに自身を引き上げる必要がありました。

北京五輪前までは海外挑戦の場として日本と習慣の近い北米のレースをスポット参戦していました。ヨーロッパのレースはなじみが薄く、ナショナルチームとして派遣される世界選手権以外で参加した事がなかったのですが、アジア大会を目標にしたことで敷居の高かったヨーロッパに自分で行く決意が出来ました。そこで本物のレースに出会ったんです。コースも、選手層も、レースの盛り上がりも、ヨーロッパの空気はすごかった。本来MTBは北米で生まれたものですけど、「アスリートとして競技に取り組む」となるとその主流はやっぱり自転車文化の歴史があるヨーロッパだと実感しましたね。2010年でした。本場で、もっと自身の力を試したいと思いましたし、その時期にやっと、ロンドン五輪を目指すという目標が明確になりました。

S:そして、オフロード2ロンドンというプロジェクトを立ち上げた。

はい。ウェブ全般の運営や全体的なバックアップをしてくれている水戸部さんや、当時コーチだった竹谷さんと、オリンピックを目指そうという話になりました。ひとりでできる事ではないので、みんなでチームをつくっていこう、と。そして、自分の挑戦を自己満足ではなくて、観客を巻き込んで、みんなの楽しみに、みんなのエネルギーになるようにと考え、プロジェクトをスタートしました。


 つづく

SPECIALIZED JAPAN WEBSITE:  http://www.specialized.com/ja/ja/home
片山梨絵応援サイトO2L: http://www.offroad2london.com/profile.html
 

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