S:北京五輪からO2L発足の期間で、自分のトレーニングだとか、レースの戦略だとか、軸になるもに変化はありましたか?
日本をベースにしていたときは、どうすればもっと強くなるのかが分からないままトレーニングしていたように思います。ですが、北京オリンピック中に、基礎体力など、土台的な部分が足りないと海外選手に見せつけられました。とくに、耐久力。トレーニングでいうなら、中強度の乗り込みが足りないと感じました。それまでは、低強度の乗り込みがあって、高強度のレースがあったのですが、中強度の部分を増やすことで練習そのものを繰り返せる体力、レーススピードのベースとなる持久力を養えるようなトレーニングに移行していきました。
S:高いスピードを維持しながら、いかにそれを耐久できるかというのがXCOだと思いますが。テクニック面は、きりかえしとか?
それも全然足りていなかったので、トレーニングの重要課題になりました。中強度のフィットネストレーニングとMTBのスキルを重視しました。オンロードでは中強度の、きつめの課題を増やして、オフロードでは楽しく乗るなかで色々なハンドリングスキルを磨きました。
S:そうやって梨絵選手が今までやってきたトレーニングで、一番厳しかったものは?
レースが一番厳しいですけどね。思い出深いのは、ロードのナショナルチームとして合宿に参加し始めたころ。雨のなか、毎日5時間くらい走り込みました。前半は集団でゆっくりと。そして、後半2時間はレース走というメニューを3、4日続けたときは本当に厳しかったですね。そこで自分は変わったな、と思いました。また、ケープエピックというレースに参加したことも、転機になったかと。北京五輪の半年後くらいの4月に、竹谷さんとペアで一週間のMTBステージレースに出たのですが、そのとき体が今までにないほど追い込まれました。もう、体全身が痛い、みたいな。トイレに行くのも苦痛なのに走らないといけない。でも、走ってみると、走れちゃうんですよ。ボルタレンとか飲みながらですけど。ただ、こういった経験をつむことで、練習のキツさの上限、自分の限界が上がっていきました。ひとりで練習すると、体が壊れるんじゃないかって、中断したりするけど、レースや合宿だと風邪をひいても走らないといけない。自分が限界だと思っても、そこでみんなと競いながら無理やり走り続けることで、上限があがるんです。練習をこのあたりで止めておこうという限界を、よりプッシュできるようになりました。あと、私はメンタルのパワーを一気に出しすぎて、燃え尽きちゃうタイプだったんですね。そこでヨガを取り入れて平常心を保つように、メンタル面のトレーニングも多く行いました。
S:レースにおける、世界で戦うための、片山梨絵がもつメンタル面での最大の武器とは何ですか?
R; 私、というか、日本で一番であるということが、一番の武器なんじゃないかな。プライドというか勝つことで育つメンタルだったり、と。勝負勘というか自信というか…。自信がないと、あれだけ厳しいなかで頑張れませんから。日本で一番であるということ、優勝経験があるということ、世間から注目を得られるということ、でしょうか。
S:北京が終わってから、この4年間でもっとも成長したところは?
世界感が広がったことですかね。今までは結構、自分のなかで閉じこもっていることが多かったのかもしれません。海外に出るようになり価値観の幅が広がったことで、自分を追い込むことが減って、安定感が増したのかと。海外に出て多くの選手と触れあい、色々なレースを経験して、色々な国の空気を吸って…。精神的に成長できたと思います。
S:ロンドンオリンピックに向けた最後の3ヶ月間を振り返って、どうでしたか?
この3ヶ月間は、時差にやられたな、と。100%自分の力を引き出せなかったですね。ワールドカップのことなのですが、日本と会場の行き来を繰り返して、風邪をひいたり、コンディションを整えられなかった。そもそもフライトや時差というものを、無いものとしてトレーニングをしていました。そこは失敗でしたね。あと、日本にいるときは、充電している感はありましたが、去年はほとんどの時間を海外で過ごして、たくさんレースをこなした結果、オーバートレーニングになってしまいました。今年は日本に帰ってきて、バイクのメンテナンスや、体のマッサージもしっかり受けてエネルギーをチャージして、「よし!やるぞ!」という感じになっていましたが…。日本できっちりとトレーニングをしても、フライトのあと体調を崩したりして。海外遠征を2回3回と繰り返すと、自分も気がつかないところで、やっぱり疲労がどんどん蓄積していくんですね。
S:それでは、ここ1、2ヶ月はどうでしたか。
この2ヶ月はずっと風邪でしたね。八幡浜の時点では風邪は治っていましたが、時差ボケが残っていました。大体、去年の夏の時点でオーバートレーニングになってO2Lに対するポイントが難しくなってしまった。ワールドカップも2回欠場したり…。O2Lに向けて点数を稼ぐことがとても難しくなってしまいました。
S:オーバートレーニングとは、具体的にどんな影響なのですか?
レーススタートしてすぐの100mもついていけないくらい、パフォーマンスが落ちる。呼吸ができない、とか。交感神経、副交感神経が乱れて夜も寝むれなくなり、日常生活もおくれないずに、1、2ヶ月なにもできなくなりました。初めての経験でしたね。
S:どうやってのりこえたの
病院には行きましたが、とりあえずレースに出ずに休むことしかできなかった。辛かったですね…。せっかく、自分のできることの上限があがってきたところだったので。限界に近づくことで体自体のキャパシティーが追いつかなくなっていたようでした。海外にでて、一番自分が良い経験したなっていうのは、自分の弱いところに直面せざるを得なかったことだと思います。
S:そして、八幡浜
はい。もうオリンピック枠はとれずに、補欠になっていたので、あとは運よく枠が回ってきてくれることを祈る状態でした。ただそこで、八幡浜で負けてしまったらその時点で終わってしまう、運良く枠が回ってきても何もできなくなってしまう。また、O2Lを支え続けてくれた日本のみんなの前で走れる最後のチャンスでもあったので、走りで感謝の気持ちを表したかった。勝つことが第一条件。そういうレースでした。自分ができる最後の仕事だと思って、レースに臨みました。
S:実際のレースはぶっちぎりでしたね。自分の気持ちをレースにぶつけることはできた?
冷静に自分がやってきたことをレースに表すことできました。時差ボケであまり寝ることができずに、体のコンディションは良くありませんでしたが、それでも自信をもってスタートできた。海外にでて、自分の弱いところに直面したことが、大きな力になった。2年間海外でやってきたことは、国内にいた他の選手たちに比べてアドバンテージになっていると、信じることができました。私がやってきたことをしっかり出せれば絶対勝てるって、思いました。
つづく
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